2005年07月12日 株式会社PHP総合研究所本社にて

今日は主に二つのことをお伺いしたいと思っておじゃましました。一つは塾主 松下幸之助さんについてです。私は政経塾の22期生になるんですが、私が入塾した時にはすでにお亡くなりになっていて、直接ご指導をいただく機会がなかったんですよね。その分関係者にいろんなお話をお聞きしたり、書物で学んだりはしますが、もっと知りたいという気持ちになります。そこで幸之助さんの晩年を常に側で過ごされていた江口社長に当時のお話をお伺いすることで、松下イズムといいますか、幸之助魂といいますか、幸之助さんの生き様、哲学への学びを深めたいと思っています。それからもう一点は松下政経塾についてです。江口社長は塾の創設にも随分と深く関わられたとお聞きしていますが、当時を知る江口社長から、設立にあたっての幸之助さんの思いや今の塾の姿に対する率直な感想と期待をお聞きしたいと思っています。


白岩:まず塾主の教えについてなんですが、江口社長が幸之助さんから一番学んだなと思われることはどういったことでしょうか。

※ 財団法人松下政経塾では創設者松下幸之助氏を塾主と呼ぶ。

江口:「素直な心」と「衆知を集める」。やはりこの二つが大きいですね。持って生まれたものもあるけれども、幸之助さんは「私」にとらわれることなく物事を考えることができた人ですよ。本当にまれな人。我々は常に「私」にとらわれてしまってものを言うけれども、幸之助さんの発想や思考回路はどうなっていたのか知らないけれども、自分のことよりもまず人のことを考える、素直にとらわれずに物事を考えましたね。
最初に幸之助さんに付いて仕事をしたときは非常に新鮮に感じましたよ。ほとんど私心がない。自分が素直な心が大切だと思ったから、ずっと言い続けて努力して体得したのか、それとも、もともと素直な人だったからこそ、その大切さを知っていたのかは分からないけれども、とにかく素直な人でしたね。何事に対しても自分で考えて決断を下すのではなく、非常に多くの人の意見を聞いていました。政経塾設立の時だって幸之助さんに頼まれて10年間で150人くらいの人に意見を聞いてまわりましたよ。非常によく耳を傾けられたのが印象的ですね。

白岩:幸之助さんの第一印象ってどんな感じだったんでしょうか。

江口:優しい人だなーと思ったね。人間的に優しい。怖いという印象はなかった。というのもPHPに異動するときに面接に呼ばれたんですが、新入社員が入社3〜4年で一対一で幸之助さんに会うなんてことはあり得なかったわけでしょ。緊張して前に座ったんですが、幸之助さんは机から身を乗り出してね、「あんたどこの大学で何を勉強してきたんや」と柔和な顔で語りかけてくれたんですよ。言ってみればあれは転勤命令だったんだけども「君、わしのそばで勉強してみる気はあれへんか」と優しい口調で言ってくれるんですね。
優しい人だなと思いましたよ。

江口:命令でも断定でもないからきょとんとしてたら、「2年間でええから」と最初はおっしゃる。結局22年と7ヶ月間幸之助さんのそばで仕事をしましたよ。そこから感じたことは、幸之助さんは非常に芯が強い、そして厳しいということですね。厳しさがある、だけどもそれを前面には出さない。優しさ・柔らかさが7割くらいで、厳しさ・強さは3割くらいだったかな。私にとってはですよ。松下の先輩なんかに話を聞いてみるとやっぱり厳しい人だと言いますよ。眼光が鋭く、すくみ上がるような思いをしたってね。

白岩:ずっとそばにおられて長い時間の中で幸之助さんの中に変化を感じましたか。例えば幸之助さんはお亡くなりになるまで素直になることを追求されていましたが。

江口:22年間で大きく変化したとは思えないですね。優しさを基本において、素直さ、衆知を集めることを追求する姿勢は変わってない。しかし経営者としての長い時間軸で考えてみるとやっぱり変化をしているとは思いますね。若い頃は信長型のリーダーだったし、PHPを始めた頃は秀吉型になっていた。70歳くらいからは家康型に変わってきましたね。私がそばに付いたのは家康型の時ですから、人格としては柔らかかったですよ。信長型とか秀吉型の時にそばにいた人は怖い・厳しいという印象があるようで、幸之助さんも若い頃は灰皿を投げつけたり、机をひっくり返したりもしたそうですよ。奥さんのむめのさんから聞いた話では、幸之助さんのためにお箸は長めのものを買い、お茶碗は同じのを二つ買ってたそうですよ。というのは、昔は仕事場と食事の場所が近かったから、食事しながら現場の進み具合をみている状態なんです。奥さん曰く、おかわりと言って、お茶碗受け取ってご飯をついで渡すと、「遅い!」ってちゃぶ台をひっくり返すんだそうですよ。だからお茶碗は二つ用意しておいて、一杯目を食べ終わる頃にはもう一つのお茶碗にご飯をついでやるんだそうですよ。それから幸之助さんは怒るとお箸で机をたたくんだそうで、たたくとお箸が折れてしまうので、折れても食べられるように長い箸を買ってくるんだそうです。

白岩:私なんかは幸之助塾主が塾生と問答をしている時のビデオなんかを見ているだけで怖さを覚えましたね。真剣勝負の場という感じで。勉強しないまま下手なことは言えないなと。

江口:塾生にとってはそうでしょうね。24時間365日一緒にいるわけじゃないから、会う時はしっかり準備をするべきだったんでしょう。私の場合はずっと一緒ですからね、そんな状態ならもたないですよ。塾生は幸之助さんが塾に行ったときにはちゃりんちゃりんと刀を合わせるわけですよね。道場での指導と一緒ですよ。私の場合は逆に幸之助さんがいろんな配慮をしてくれましたよ。感激するようなことをたくさんね。

白岩:信長・秀吉・家康の話で思い出しましたが、幸之助さんが三人の中で誰が一番優秀だと思うかと尋ねられたときに、先代から学んで応用していくわけだから、信長より秀吉、秀吉より家康がかしこいはずだと答えてらっしゃるんですよね。人類はそうあるべきで、本来なら歴史とともに日々発展していかないといけないなと感じました。

江口:その通りですね。徳川時代はだから300年も続いたわけですよ。ああいうことをすると信長のように失敗する、こういうことをすると秀吉のように失敗するということで別のやり方を学んだんでしょうね。幸之助さんは前の失敗や成功から学ぶことが大切だということを伝えたかったんじゃないですかね。

白岩:幸之助さんの残した言葉の話ですが、一度聞くと当然じゃないかと思わせられるものでもよくよく聞いてみると奥が深い話というのはよくありますね。その典型的なのが塾是にある「成功の要諦は成功するまで続けるところにある」という言葉だと思います。入塾直後は「そりゃ成功するまで続けたら成功するさ」と思っていましたが、今はその言葉の重みを感じていて、非常に好きな言葉、大切にしている教えになっています。

江口:成功するまで続ければ成功するというのはあたりまえのようですが、実際には成功するまで続けるということは凡人にはできないんですよ。成功する直前にあきらめてしまうわけですよね、普通の人間は。100人のうち99人は成功するまで続けられずに辞めてしまう。残りの1人だけが成功するんだと思いますよ。

白岩:他にも塾主の遺した言葉の中で私の活動の支えとしているものはたくさんあるんですが、江口社長が大切にしている言葉はありますか。

江口:たくさんありますよ。「任せて任さず」、「風の音を聞いても悟る人がいる」、「冷静に判断して、愛情を込めて接する」、「とらわれずに、こだわらずに、偏らずに素直な心でものごとをみて、考えて行動する」。そういうのはたくさんありますね。そういう言葉を松翁論語にまとめていますから、読んでくださいよ。

白岩:松翁論語は愛読させていただいています。「任せて任さず」というのはすごい業ですよね。私も国際交流団体を学生スタッフとともに運営をしていますが、やはり任しきれないところがあります。ついつい口を出してしまう、質を求めてしまうということはよくあります。幸之助さんもそういう「完璧」を求める姿勢があったんじゃないですか。

江口:「任せて任せず」というのはどこかで信頼していないから任せないという意味ではないですよ。思いやりなんです。私なんかは36才の時にPHPの経営をやれと任されたけども、翌日からは今まで以上に電話がかかってきて、どうやどうやと聞いてくれる。任せっぱなしではなく、あなたのことを気にしているんだよという気持ちの表れです。口を出すということではないが、アドバイスはいくらでもしてあげるよ。いざという時にはいつでもワシが責任をとってあげるから心配はしなくてもいいよということなんですよ。

白岩:幸之助さんの仕事に対する態度はどうだったんでしょうか。ある程度は任せるので、その代わり責任を取りなさいと言う姿勢だったのか、それともとにかく思い切ってやれ、責任は俺がとるという態度だったんでしょうか。

江口:松下幸之助さんの出す基本方針・理念がありますよね。それに沿ってやっている限りにおいては幸之助さんが責任をとってくれましたよ。基本方針通りに仕事をしても思わぬことでうまくいかないこともある。そういう時には「心配するな」と言ってくれる。
私もうまくいかなかったときには、「申し訳ございません、うまくいきませんでした」と謝ったんですが、「そんなこと心配するな。それよりも、君、志を失ったらあかんで、あとは俺に任せておけ」ということが3、4回ありましたよ。自分勝手にやるんではなく、あくまでも基本理念を貫くということが大事。任せて任さずというのはそういう意味では、「基本理念だけは従いなさい」という意味もあるかもしれませんね。

白岩:なるほど、芯だけは貫くと言うことですよね。

江口:基本理念だけは守りなさいよ、守る以上はあとは自由に思い切って仕事をしなさいということでしょうね。

白岩:さて、それでは二つ目のトピックである政経塾についてお話をうつしたいんですが、26年目に入った今の塾を率直にどう評価されていますか。

江口:塾生は非常によくやっていますよ、OBも現役も。それが結果として出身政治家67名という数字につながっているわけですからね。世間にはもちろん批判の声もあるでしょう。パフォーマンスだけだとか、飛び回っているだけで実績がないとかね。ただそれはそうじゃない。如実に数に現れていると思っています。政経塾ができてからの26年間、卒塾生や現役の政治家がいい加減な活動をしてきていたなら、後の人たちも続いて来れなかったはずですよ。今の政治家の先輩、逢沢君や野田君、山田君や中田君などが一生懸命実績をあげてきたからこそ後に続けたんですよ。そういう意味では政経塾の人は松下幸之助さんの思い、志を少なくとも心のすみ、頭のすみに置いて、時として思い返しながら活動をしているし、それが評価につながっているんだと思いますね。

白岩:実際に67名もの政治家を輩出しているというのは本当にすごいことですよね。社会的には海のものとも、山のものともわからないと思われていた政経塾は、ある時期までは結果を求めて、まずは政治家の数を増やそうと量産体制的になっていたと思うんです。ところが、もう26年たった。25年を第1期とするのであれば、第2期目の政経塾が始まったわけです。もう数にこだわる必要はないと、これからは塾出身者がどのように改革を進めていくのかという「質」が問われる時代になってきていると個人的には思っています。政経塾の設立理念を考えると、江口社長はこれからの時代、塾が何を目指せばいいとお考えでしょうか。

江口:政経塾創設の理念や思いに原点回帰していくことが大事だと思いますよ。今までは選挙に当選しなければという一念だったでしょう。しかしある程度当選回数を重ねる実力もついてきたし、それなりの立場も維持できるようになってきた。また塾出身者として立候補すれば当選できるようにもなってきた。そういった社会的ステータスも政経塾として確立されてきつつある今日において、塾生が目指さなければならないのはもう一度ゆっくりと、落ち着いてしっかりと幸之助さんの思いを考え、原点に回帰することです。

白岩:冒頭にも申しましたが、我々期の若い塾生は、直接のご指導をいただいていないんですが、だからこそ、客観的に物事をみることができ、塾主が何を思っていたのか、その理念はしっかりと研究することができたのではないかと思っています。しかし塾の目指していた道となると、先輩方や関係者にお聞きしても、それぞれが違うことをおっしゃっていて、塾出身者の中でも未だに共有できていないのが現状かなと感じています。例えば党派を超えてとにかく社会のために改革を進めることが至上命題であったのか、それとも塾出身者が一致団結をして、例えば新党結成のような形で突き進むことを望まれたのか。そのあたりはまだまだ議論が絶えないんです。

江口:松下幸之助さんが塾をつくった時は、自民党からでも当時の民社党や社会党などからでもそれぞれの信念に基づいて立候補して活躍をしてくれればいいという発言をしています。しかし幸之助さんの真意、塾への思い、塾生への思いを深く考えるとやっぱり政経塾出身者は塾の理念を基礎として一つのまとまりのある動きをして欲しい。新党かどうかは別にしてそうした一つの動きをして欲しいという思いはどこかにあったと思いますね。

白岩:必ずしも政党という形ではなくとも、社会共通の利益ともなるPHP精神の具現化に向けて一つの運動体として行動を起こすということはまだまだ可能性がありますよね。

江口:幸之助さんの思いを振り返るとね、もっと言えば心の中のどこかには松下政経塾党というものが浮かんでいた可能性はありますよね。幸之助さんは80歳や85歳くらいからずっと新党構想を抱いていましたから。政党をつくる準備を私もしていたわけですけども、もし新しい政党ができれば、少なくとも出身者は糾合するというベクトルになっていたと思いますよ。

白岩:もう少し現実的な選挙の話をしたいんですが、塾出身者の多くは選挙になると「松下政経塾出身」の看板を大きく掲げて出馬しますが、選挙の現場を経験してみて感じるのは、これに対しては賛否両論あるなということです。政経塾の理念のもと松下幸之助の教えをしっかり引き継いだ者が出ているんだから正々堂々と「政経塾出身」を名乗ればいいという人と、一方ではこいつは良い候補者だなと思いよくよくプロフィールをみてみると「塾出身者」だった、そこでさすがだなと思われることの方が重要だとする考え方の方もいますね。

江口:私は松下政経塾出身者であるならば、その事実を前面にだすことはむしろ大事なことだと考えています。自民党や民主党公認だけでは何を学んできた候補者なのか、政治的活動の哲学が何なのかがわからない。しかしそれに「松下政経塾出身」が加わると、幸之助さんが言ってたことを政策化してくれるんじゃないかという期待がもてるわけですよ。座標軸がはっきりするわけだから、有権者にとってもわかりやすいじゃないですか。

白岩:私自身は「松下政経塾出身」というのは、「本気で改革をしますよ」という一つの旗印だと思っているんです。今はどうしても単なるブランドとしてのみ使われている傾向がありますし、マスコミにもそういう論調があるのが残念でなりません。

江口:それは塾生自身の問題ですよ。ブランドだけで使っているとすれば幸之助さんに大変失礼ですよ。もしそういう出身者や塾生がいるんであれば、それは考えを改めてもらわないと困る。ただ選ぶ方としては一つの判断材料になるのは確かですよね。幸之助さんが亡くなってもう17年も経つけれども。少なくとも人々の意識の中では、彼の思いや彼への尊敬や期待は生きていますよ。

白岩:そういう意味でも第二の松下幸之助さんを塾から輩出すべきなんでしょうか。

江口:それは無理ですよ。第二の家康はでてこないし、第二のキリストはでてこないし、第二の釈迦はでてこない。弟子は出てくるでしょうが、家康やキリストや釈迦はでてこない。だから第二の松下幸之助さんもでてはこないが、考え方をどう自分の頭の中で血肉にし、咀嚼(そしゃく)していくかを考える。つまり一番弟子になるということを目指せばいいわけです。

白岩:私は自分の部屋に幸之助塾主の「素直」の書をかけているんですが、見るたびに反省しかでてこないんですよ。またこんなことを言ってしまった、あんなことをしてしまったという。政経塾の3年間で少しは人間的に丸くなったかなと感じるところもありますが、まだまだですね。もちろん3年間でそこまで成長できるはずもないとは思いますけれども。江口社長は幸之助さんの教えの具現化をどう実行されていらっしゃるんでしょうか。

江口:幸之助さんだったらどう考えるか、どういう手をうつか、どう行動するかを常に考えながらPHPの経営をやっていますよ。「南無妙法蓮華経」とか、「南無阿弥陀仏」と人々が唱えるように、私は「根源理法素直な心」と常に唱えているんです。繰り返すことによって感謝とか、生かされている自分だとか、理法にしたがった素直な心でなければとか、そういうことを感じるわけです。それによって松下幸之助さんの素直な心、感謝の心が湧いてくるんですよ。

白岩:以前江口社長とお会いしたときに、社長に政経塾生は公人なんだから、世のため人のために24時間365日考え行動しさいと言われ、反省の気持ちで家に帰ったんですよ。

江口:そらそうですよ。そのために政経塾に入ったんだから。世のため人のため、社会のため、国のため、世界のために、多くの人のために、日本人のため、人類のために尽くそうと思って、志をもって政経塾に入ったんだから、24時間365日とにかくそれだけの思いをもって行動するべきですよ。

白岩:もちろん情熱や志はあります。しかし弱さもでてしまいます。幸之助塾主や江口社長はそんな人間の弱さをどう克服してらっしゃるんですか。

江口:幸之助さんだってそんなに強い意思があったかどうかはわからないし、ましてや私であれば強い意志があるとは自分自身でもはっきりそう言えないけれども、少なくとも、そういう思いを持とうとする、そういう気持ちが必要なんだと思い、念じ続けることが出発点ではないかと思いますよ。ここで手を抜こう、気を抜こう、酒を飲んでカラオケでも歌って、今日はもういいやとそれをやってもいいけれども、それでも常にどこかで日本のことを考えている自分がなきゃ駄目ですよ。まったく忘れてしまって酒やカラオケに興じるのであれば政経塾に入った意味がない。

白岩:そうですよね、そこまでの覚悟をもって入塾すべきですし、卒塾すべきだと思います。

江口:常に明日の日本、明日の世界、日本国民の繁栄平和幸福、世界の繁栄平和幸福をなんとか実現していくことに努力するという自分をもってないといけないですよ。

白岩:こんな時代だからこそ、塾や塾出身者に求められることはますます大きくなっていると私は思っているんです。

江口:そうですね、白岩君にはおおいに期待していますよ。

白岩:ありがとうございます。お会いするたびに気持ちが引き締まります。もっと頑張らねばと思います。幸之助塾主の関係者だからというだけで本当に多くの人に気を遣っていただける、応援していただける。ありがたいことだと思っています。今日は本当にありがとうございました。


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 江口 克彦 (えぐち かつひこ)
株式会社PHP総合研究所代表取締役社長 1940年名古屋市生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、松下電器産業株式会社入社。その後PHPに配属され、36歳の若さで松下幸之助氏よりPHPの経営を任される。松下幸之助の晩年の22年間を常にその側で仕事をし、財団法人松下政経塾の設立にも大きく寄与する。

PHPとは「Peace and Happiness through Prosperity」の略、「繁栄によって平和と幸福を」という意味のことばです。これは、物心ともに豊かな真の繁栄を実現していくことによって、人々の上に真の平和と幸福をもたらそうとの願いを込めて、松下幸之助氏が提唱したものです。松下氏はこのPHP精神を世に広げるために研究所を設立しました。財団法人松下政経塾はPHP思想を具現化する人材の育成を目指し設立されました。

photo by 吉田 孝充(ハニーライト・イメージング)